落とし前をつけろ/釜川ヤド沢

f:id:hudkass:20190820162348j:plainーーーー 三ツ釜の登攀を終えて、広大な滝全景を見下ろす岩の上に並んで腰を下ろし、はあー、と安堵の息をついて飲み物を口にした。

「普通、あんなにタワシ使わないよ」

呆れながら、でも楽しそうに登攀を振り返るKさん。普通なら巻く滝をあえて苦労して登るのは楽しい。記憶に残る山行になる予感がして、記録はどちらが書きますか?と聞くと、私に、とのこと。色々なことがあった山行、上手くまとめられるだろうか。

 

<釜川右俣ヤド沢>

今回の計画は、負傷中の私の左手に固定具をつけたまま、合計8本の手指でも行ける範囲の沢にしようと、釜川ヤド沢を1泊でノンビリと釣りでもしながら、というもの。

 

急ぐ旅ではないので、朝もゆったり。沢装備の準備をしながらドローンを飛ばして、これから遡行する沢を眺めた。

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100m上空より

準備しながら、チェーンスパイクが見当たらないことに気付いた。あまり忘れ物をしないほうなので、そんなバカな、とザックをひっくり返しても見つからず。(帰宅後、ザックのサイドポケットに入っているのを発見)。

 チェーンスパイクがないと、高巻きの難易度と所要時間が上がる。すると「自分は大丈夫だから」とKさんのスパイク、しかも買い換えたばかりの未使用新品をお借りすることになった。最初に高巻く際にスパイクを履いていると、

 「一度も使ってないんだからね。落とし前つけてね」

と真顔で言われて、震え上がった。落とし前って任侠映画でしか聞かない。どうしよう。Kさんてそういう、冷徹系?震える私を追い詰めるように、重ねて「落とし どめ」の声。ああ、落とし止め(カラビナ)ね。よかった、聞き間違えか・・・のはずが、後に本当に落とし前をつけることになる。

 

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釜川ヤド沢の記録は簡単に文章で読んだだけで遡行図も見ず、なんとなく手指マイルド癒し系チャーミーグリーンかと想像していたが、そんなことはなく。

滝の間をジャンプして乗り移って小さいホールドを掴み、ガストン気味に止めるとか、序盤から何かとスパイシー。指はさておき、とても楽しい。あとで知った遡行グレードは3級上。納得。

 

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負傷中の指もガッツリ使う


巨岩帯を抜けて、二俣から右俣に進んだところで、釣り竿を出した。人生初の渓流釣り。Kさんに餌をつけてもらった竿をお借りし、その場で振り向きざまに適当に第一投。餌が水面に当たってポチャンと音を立てた瞬間、ググッ!と引かれた。

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左端の岩沿い狙い

手応えに驚いて竿をあげると、餌はなくなっていた。これが「入れ食い」という状況なのかと思いきや、その後も3度逃げられて、もはや給餌係。Kさんは1匹を釣り上げた。さらに1時間ほど進んだ先でもう一度釣り糸を垂らすも、釣れず。

 

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肩まで浸かる釜を23つと越え、ぬめりや水流の強いところで時々お助けを出してもらいながら進むうち、それまでとは雰囲気の違う、空が開けた広大な空間に出た。

その突き当たりにはサンタクロースの顎髭のような巨大な滝。これが有名な三ツ釜か、と感激して写真をたくさん撮った。三ツ釜1段目の大滝は右側のリッジを登り、2段目も巻けるらしいが、滝を間近で見たくて釜の淵に降りた。

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三ツ釜

滝を眺めていたら、私だったらあのラインから登るかなあ、というのを見つけて、思わず「登れそうなラインがありますね」と呟いた。Kさんは「え、登りたいの? あれでしょ、正面左側のあのライン」と少し面倒そうに、でも的確に答えつつ、壁に近づいて苔の滑り具合を確認。これは相当滑る。

ラインに取り付くには、そんな苔でヌルヌルに滑る滝を5mほどトラバースしなければならない。下は流れのない釜なので、落ちてもまあ平気そう。しかし、たとえそのラインまで行けても、釜は足がつかない深さなので「水中ビレイできないからダメですね」と言うと、「ビレイはそこですればいいよ」とKさんは釜の対岸を指差した。

 

ザックを下ろしてロープをつけるKさん。リードしたかった…とはもう言えない私はビレイの準備をして見守る。

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Kさんは手足の置き場をタワシで大掃除しながらトラバースしていく。年末でもこんなにタワシ掃除しないんじゃないの。途中で諦めて戻ってくるかと思ったら、そのままラインに到着、ハーケンを1つ打ち、2つ打ち、あっという間に登りきった。さすが。続いてザックを荷揚げしたが、その荷揚げ作業がとても大変そうだったので、私は自分のザックを背負って登ることに。「大丈夫?難しいよ?」と声をかけられたが、すんなり登れた。8本指、意外といけるな。

 

三ツ釜の上で休憩し、時計を見ると13時半。そろそろ遊びは終わりにして先に進もう、「大滝を越えたところに、いいテン場があるらしい」、との情報を頼りに進んでいくが、大滝と言えなくもない20m程度の滝を、越えても越えても、まだ滝がある。それが4本続いた。「ヤド沢って滝多いね」とKさんが呟く。Kさんも遡行図を見ていないのであった。

アクシデントが起きたのは、そのときだった。

5本目の20mスダレ状の滝が見えて、一旦ザックを下ろして休憩。行動食を口にしながら滝を眺め、右から行けそうだけど水流強いね、さてどうしようと相談していた。再びザックを背負ったKさんが、近づかないと分からない、と言って滝へ向かって歩いていき、転倒した。

 慌てて駆け寄ると、口の中に出血。顔に傷はない。歯が折れたかもしれない。救急セットに入っているもので口の中で使えそうものは脱脂綿しかなく、「これを噛むようにして抑えてください」と言って、止血を試みることにした。 転んだ場所は、直径40cm程度の平べったい石。

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この手前の石

その石は、この日歩いてきた数万歩の中でも、最も易しい一歩のように見えた。その一歩を石に乗せるとき「滝しか見てなかった・・・」と言って悔やむKさん。そうさせてしまった遠因は私にもきっとある。しかし沢ヤとして「滝しか見てなかった」という転倒理由は最高にカッコいい。あとで元気になったら言おう。

 

1時間ほど前から嫌な気配を漂わせていた灰色の雲から、ついに霧雨が降り出した。時刻は15時。周囲にビバークできるような場所はない。少なくとも目の前の20m滝を越えなければならない。雷雨にでもなったら大変だ。そういえば、来る前にみた天気予報で雷注意報が出ていたっけ、、、 

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転倒直前

せめてKさんにツエルトを巻き付けようか、などと思案していると、「なんか大丈夫になってきた」とKさん復活。止血もうまくいった。転倒前となんら変わらないパフォーマンスで、つまり、私が全くついていけないスピードで、高巻きをこなした。King is back。よかった。

 

次の30m滝は見るからに登れないハング滝。ロープを出して左のリッジを登り、少し歩いたところで、整地すればなんとか泊まれそうな場所を見つけて、妥協。荷を下ろした。「大滝のうえにいいテン場が」という伝説のテン場ではないのは明らかだったが、仕方ない。

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風光明媚な宿

時刻は16時。滝のすぐ近くで、増水したらアウト、ほとんどゴルジュの中とも言える場所だったので、高台に素早く避難できるようにロープを張って保険をかけた。幸いにも雨は10分ほどパラついた程度で、すぐに青空に戻った。

 

今回初めて食事当番を仰せつかり、しかも夜と朝の2食分だったので、滝を登るより献立作成や調理のほうがよほど緊張した。沢泊経験に乏しい私は、タープ設営や焚き火や魚捌きなど、Kさんが涼しい顔でこなしていく様々な作業を横目で追うも、手伝えることは多くはない。薪集めぐらい。

 

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夜はゴロゴロ夏野菜の2色カレー

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朝は、たっぷりパクチーの海鮮フォー

Kさんは口の中が痛いそうで、食事を流動食のように細かく刻んで、咀嚼は奥歯だけを使って食べていた。歯が折れていたらどうしようと酷く心配しているのを、なんとか元気づけたくて「今の歯医者は色々技術があるから大丈夫ですよ、だってボクサーとかよく前歯折ってるジャン!」と上品な神奈川弁が飛び出したりした。

 泊まり沢にはビール500mlを2本、という誰からともなく真っ先に教えられていた最重要作法に従い、軽量化を台無しにした悪魔の飲み物をチビチビ飲みつつ、焚き火をくべながら話しているうちに夜は更けた。

 

翌朝は5時起き、7時発。夜間ずっと轟音で私の耳を苛んでいた幕営地直近の8m滝は右から巻いた。そしてしばらく進むと50m大滝が現れた。

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50m大滝

「大滝の上にビバーク適地がある」の大滝とは、このことだったようだ。圧倒的な大滝の風格。滝に近づいていたKさんが、おもむろにザックを下ろしたので何かと思ったら、魚を見つけて手掴みで取ろうとしていた。この日は34回手掴みに挑戦したが、成功せず。いつもは成功率が高いらしい。50m滝は「右のあの辺り登れるんじゃ・・・」という私の提案は即座に一蹴され、左から高巻いた。

 

大滝後に、4段25m滝があり、その後はゴーロ歩き。沢を詰めあげて林道にぶつかり、そこで沢装備を解いた。

 

しかし、借りていたチェーンスパイクは、返せなかった。昨日どこかで片方を落としてしまったようで、新品を買って落とし前をつける、というオチになった。むしろ、この話にオチをつけるために失くしたのかもしれない。

 

[行程]

1日目

駐車場08:08二俣09:20三ツ釜12:35幕営16:00

2日目

幕営07:0050m大滝07:30~林道09:30~駐車場11:14

 

[温泉]

ニューグリンピア津南(12時オープンを前倒ししてもらった)

[食事]

岳薮(売切閉店のところ、お願いして入れてもらった)