ヒグマの懐/日高の沢

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高巻いていた土壁が足元から崩れた。身体が一瞬の無重力に晒されたあと、成す術なく滑り落ちた。5mほど下の沢に足から着地、咄嗟に右腕を挙げて頭を覆うと、落石が降り注ぎ、そのうちの一つがゴン!と大きな音を立てて腕に当たった。見事に盾になった腕には楕円形の大きな青痣ができたが、きっとすぐに消えてしまうのだろう。

 

ホッケdeパーティー

帯広空港へ降り立ち、レンタカーで日高山脈の南東側、豊似川へ向かったが、一目で増水していると分かる川の流れが、入渓は無理だと告げていた。昨夜までの降水量は相当だったのだろう。それにまだ小雨がパラついていた。入渓を延期して、電波の通じる場所へ移動。情報収拾をしつつ、その日はホッケを豪快に焼いて宴会。今回は女子パである。怖いものはない。

 

翌朝は晴れたがテンションが上がらない。きっと増水で入渓できない、もうハイキングに変えようか、と話しながら、でも諦めるにしても、水量だけ確認しに行きましょう、どうせ今日は急がない旅になりそうですし、と言うと、Yさんが「それもそうだね」と頷いた。

 

ところが、入渓点について川を見ると、明らかに水量が減っていた。

 

「減ってる!めちゃくちゃ減ってます!」

先に車を降りて川の様子を見た私は、Yさんに叫んだ。Yさんの目の色が変わった。「よし、入ろう」。スイッチオン。急いで沢装備に着替えて入渓した。

 

勢いのある本流の流れを、スクラム徒渉で越えて右俣へ入渓。途中の河原にクマの大きな糞があり、ヒグマの生息地に入ったのだと覚悟を決めた。遡行中、何らかの獣が走って落石を起こしたり、耳を擘く大音量の笛のような鳥の鳴き声がしたり、静寂な山の中に力強い生命の息吹を感じた。

 

 沢は徐々に深いゴルジュ地形になり、水の色は悠然とした蒼さから、激しく白い渦へと変わっていった。

 

 ハーケンを打ちながらゴルジュの側壁をトラバースして進み、角を曲がると、予想以上に大きな滝が流れ込んでいた。そんなことが何度も続いた。曲がり角の先には、いつも豪快な景色が待っていた。

 

 

 滝が出てくるごとに、登れるか登れないかを相談するが、この水流の強い滝は、Yさんは一瞥しただけで登れないと判断し、大高巻きを覚悟して上を探っていた。一方私は右壁で行けると半ば確信して、「近くで見てきます」と滝の下まで行った。結果的にハーケン2枚で右壁を突破。「ルーファイ、お見事でした」と褒められた。この先輩はたまに褒めてくれるので、新人としては、やり甲斐がある。ロープの長さはギリギリだったけど。

 

 

こちらの滝はリードで登ったものの、あと5mほどロープの長さが足りず、途中の木で支点を取った。先の滝といい、ロープが足りないほどの高さなのに高度感を感じないのは、この北海道の空の広さのせいだろうか。

 

途中、滑落ハプニングで肝を冷やし、さらに遡行を続けるうちに、滝が終わった。稜線に上がる分岐は常に水の多いほうを選んで進み、地図上の沢形がなくなる分岐でも「藪漕ぎになる可能性が高いけど」と覚悟の上で、水のあるほうを選択して詰めた。

 

そしてやはり、藪漕ぎに突入。

 

途中で何度も足がつり、顔から転んで傷を作り、悪態をつき、1時間半、いや2時間だったか、一心不乱に藪を漕いで、稜線に這い上がった。そして稜線もまた藪漕ぎだった。

 

 

左俣への下降点につき、急傾斜で浮き石だらけのガレ場を下った。15時を回ったが、ビバークに適した場所はない。仕方ないので、ガレ場の上で寝ることにした。

 

岩をなんとなく平らにしてテントを立て、身体の下にロープやザックを敷いた。それでなんとかなるものである。

 

薪を集めて焚き火をつけ、今日はもう疲れているからと、すぐに米を炊いたが、火がついたことで気持ちがリフレッシュし、温かいものを口にすると、元気が戻ってきた。やっぱり宴会をしようと、主食の前にツマミを料理して、ホットウィスキーを飲んだ。

 

最後にカレーを食べて、星を眺めて、就寝。背中はゴツゴツしていたが、それなりに眠れた。

 

翌朝、アラームより早くYさんが起床。なにやら喋っている。

 

「ドスンドスン足音がしたから、クマかと思って声を出した」

とのこと。クマのやつ早起きだな、、念のため、スマホのアラームを最大音量で鳴らしてから外に出ると、姿はなかった。

 

朝焼けの空を眺めながら朝食。昨夜は水を採れた場所が、今朝はもう枯れていて、一晩の間に随分水量が減ったのだと知った。

 
 

テントを片付けて下山開始。懸垂下降できるところはして、あっという間に本流へ。「今日の核心」と言われていた、遥か頭上の車道へのアプローチも、途中で見つけた小滝を使って登ると、案外あっさりと車道へ出た。

 

1時間歩いて駐車場へ。9時に下山完了。

 

ゆっくり温泉に入って、回転寿司で海の幸を満喫。友人が経営する巨大油絵のある美術館に遊びに行き、北海道を満喫したのであった。